被災70周年・東京大空襲資料展と追悼集会が台東区で開かる

 3月7日(土)~10日(火)に、節目の年の「被災70周年・東京大空襲資料展」が、台東区共催、台東区教育委員会後援で、浅草公会堂1階ギャラリーで開催されました。

 今年は初日から3日目まで、連続の雨模様の天候だったため、来場者の出足が悪く、4日間の総入場者数は5,667人でした。

 

 

 今年の特別企画展示は「狩野光男画伯原画展」でした。1945年の3月10日の未明、言問橋周辺で約7,000人が亡くなられました。江戸狩野派の流れをくむ家系の狩野さんは、その時に脳裏に焼きついた最上を、後世に伝えるための決断をされ、戦後58年経って描き始め、その東京大空襲画は100枚にのぼります。

 今回は言問橋に焦点をしぼり、B2サイズの絵を、8点展示しましたが、多くの人が食い入るように見ていました。

 

 

 家族や保護者に付き添われたグループの子ども達の入場者が、例年よりも多く見受けられ、焼夷弾解説パネルや、石川光陽さん撮影の写真などの前で、実行委員スタッフの説明を熱心に聞いていました。

 観光に来て、偶然この資料展を知り、入場された方も多く、その中には数十名の外国の方もいて、実行委員会作成の「英文リーフ」を見ながら、熱心に見学していました。

 

 

 学童疎開経験者の方の多くは、疎開展示コーナーの前で、周りの人に誰彼となくその体験を語り、説明スタッフさながらの様子でした。ビデオ観賞・語り部コーナーは、毎回人であふれ、みなさん熱心に耳を傾けていました。談話コーナーは、お茶を飲みながら一休みする人たちで、常時満席となり、交流の場となっていました。

 10日の最終日、台東区が開催した大ホールでの「平和のつどい」終了後、資料展会場も、人であふれました。

 5階の集会室で、3日間午後に行われたイベント企画は、どれも大勢の参加者で大好評でした。

 7日(土)は「浅草deトーク vol.4 【名前】と出会いなおす-沖縄と東京の対話」を、8日(日)は「平和寄席」を、9日(月)は「浪曲で戦争を口演」を開催しました。

 恒例の「浅草戦跡めぐり」は、連日行われ、好評でしたが、小雨と寒さのせいで、参加者は例年より少なめでした。

 

 

 10日(火)午後1時から、隅田公園言問橋際の東京大空襲追悼碑前で、「追悼集会」を開催しました。東京土建練馬支部合唱団・コスモスの皆さんの献歌で開会し、川杉元延実行委員長が犠牲者追悼のあいさつで、言問橋周辺の悲劇と、28回目をむかえた資料展と追悼集会の経緯を話し、「戦争被害の事実を風化させず、後世に伝えていく」と決意を述べました。

 高森大乗台東区教育委員長は、「子ども達に平和の尊さ、戦争の悲惨さを伝える」とあいさつをされました。また、小池晃参議院議員が、来賓のあいさつで、「力を合わせて憲法9条を守り続けることこそ、空襲犠牲者の無念に応える道であり、政治の責任です」と述べられました。

 画家の狩野光男さんは、3月10日未明の言問橋周辺で、自ら体験した悲惨な光景を話し、「私は橋の際の船着き場で、奇跡的に助かり、親兄弟6人を探したが、亡くなっていました」と語りました。

 台東区谷中の片山服恵さんは、「私が縁故疎開で千葉に行きましたが、竹やりの訓練ばかりやらされ、体調を壊して谷中に戻っていました。集団疎開していた弟が『家に帰りたい』とつづった手紙など、検閲が厳しかった中、親が大事に保管していました。それが開催中の資料展で展示されています」と語りました。

 東京空襲犠牲者遺族会の葉山美佐子さんは、自分が発行した冊子を示して、当時の悲惨な状況や、自身の苦難に満ちた体験について語りました。

 最後に参加者は、戦争犠牲者に黙とうをささげ、碑前に献花して、流れ解散しました。北海道をはじめ、遠方から参加された方もいて、参列者は約170名でした。

東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会

「東京に平和祈念館(仮称)を」2015年7月5日発行掲載